病理解剖の倫理的課題に関する提言


                             平成13年11月26日
                           社団法人日本病理学会
                            倫 理 委 員 会
                            理   事   会

1. 死者や遺族の人権や個人情報の保護を担保するよう、病理解剖承諾書の見直しを
 各施設で行う。

2. 日本病理学会および病理医には病理解剖の意義、臓器の扱い、費用などについて
 普段から患者や家族さらに社会に対して、平易な言葉で理解を求めるよう努める
 べきである。

3. 死体解剖保存法に基づく承諾の他、病理解剖標本を学術研究や医学教育に使用す
 ること、あるいは臓器の保存期間や茶毘に関する説明を行い、文書で承諾を得る
 ことが必要である。

4. 臓器の保存期間に関しては病理医が所属する施設の設置形態、規模(病床数)、
 地理的背景等が異なることから一律に規定することは、現時点では適当でない。
 但し、病理解剖報告書とパラフィン・ブロックは原則として永久保管すべきと思
 慮される。

5. 病理医は病理解剖により得られた医療情報を適切な方法で公開し、医学・医療の
 発展に貢献すべき責務を担っている。病理解剖とそれに付随する業務の在り方に
 関しては、絶えず検証されなくてはならない。
 
 
 
 
 

【解説】

 
I. はじめに
 死体の解剖、保存その他の取り扱いに関しては、死者に対する国民の人道的、宗教的
感情あるいは倫理的側面を十分に思慮する必要がある。刑法においては国民の死者に対
する感情を保護法益とした死体損壊罪(同法190条)が規定されている。法律は「国
民が従わなくてはならないと定められた、その国のきまり」(三省堂、新明解国語辞典)
である。病理解剖に関連した法律は、死者の尊厳や遺族の権利の確保、病理解剖担当者
の義務と権利の保証そして病理解剖が円滑に遂行され、もって公衆衛生の向上および医
学の教育と研究に資することを目的に制定されている。病理解剖が社会の営みの一つで
ある以上、病理医は法律や諸規則を熟知し、遵守する必要がある。それにより病理医の
身分保障や病理学の発展が約束されるのである。
 他方、法律や通達では解決されない倫理的課題が残されている。しかも倫理観は時代
や社会背景により変化する。社団法人日本病理学会では病理業務に付随する倫理的課題
を検証する目的で、平成13年6月に倫理委員会を設置した。ここでは、病理解剖に関わ
る倫理的課題とその対応について倫理委員会の見解を提示する。
II. 現行法令下における病理解剖の倫理的課題と対応
 病理解剖は各種の法律や通知によって規定されている。しかしながら以下のような倫
理を含めた問題点が指摘される。

1. 遺族の承諾と病理解剖の説明
 厚生省健康政策局長の通達「病理解剖指針」を受けて、日本病理学会では承諾書のモ
デルを提示した。この承諾書ではa.死体解剖保存法に基づいて解剖されること、b.臓器
は保存され、その後火葬されることが明記されている。しかしながら、医学教育や学術
研究に用いられる可能性については言及されていない。家族の死に直面した遺族は悲嘆
と動揺の中にあり、必ずしも冷静な判断が下されるとは限らない。こうした事態にあっ
て病理解剖の承諾を得ることは必ずしも容易ではないしかも、病理解剖の説明を行い、
承諾を得るのは臨床医(主治医)であって、病理医ではない。従って、承諾書は平易で、
簡潔しかも必要最小限の文章に留めるべきであろう。文末に病理解剖に関する承諾書の
モデルを提示するが、これは必要最小限の事項であって、各施設の状況を鑑み、説明や
承諾を得るべき事項を加味するよう考慮すべきである。ヒトゲノム・遺伝子解析研究に
使用することが明らかとなっている場合は、文部科学省、厚生労働省、経済産業省の三
省合同の指針に沿った手続きが必要である。

2. 病理解剖の意義を社会に訴える
 患者や家族、あるいは社会一般は病理解剖に関する知識が乏しい、と思慮される。臓
器が保存されていることすら知らない人も少なくない。病理解剖の意義、臓器の取り扱
い、費用等に関しては平易な言葉で説明されるべきである。東京都老人医療センターで
は「病理解剖をご存じですか」と表記した簡単なパンフレットを作製し、外来に置いて
いる。こうした取り組みは病理解剖の意義を知ってもらうためには地道であるが、有意
義な試みと評価される。

3. 病理解剖標本の目的外使用
 病理解剖によって得られた臓器・標本を用いた学術研究あるいは医学教育への使用を
阻害することがあってはならない。病理解剖によりもたらされた医学情報が公衆衛生や
治療法の開発に結びついていたことは歴史が教えている。現在、提示されている指針や
見解の何れもが、学術研究や医学教育への使用を肯定的に捉えている。この際原則とし
てヒトゲノム・遺伝子解析研究における試料等の分類のB群試料に相当する承諾を遺族
から得るべきである。病理解剖時点において、いかなる学術研究や医学教育に用いられ
るかは推定出来ないからである。承諾のない検体はC群試料に含まれる。さかのぼっ
て承諾の得られないC群試料であっても、倫理審査委員会等、第三者の視点で検証し
承認を得れば、研究・教育への使用は可能である、との解釈は可能である。

4. 臓器や標本の保存
 病理解剖で得られた標本は家族の承諾によって各施設に保存できる。しかしながら、
保存期間は定められていない。標本保管室などの狭隆な施設では、適切に処理すること
になるが、標本は遺族に帰属しており、焼却等による適切な処理には遺族の承諾が必要
である。臓器の保存期間を一律に規定することは出来ないが、カルテと同様、5年間の
保存を努力目標とすべきであろう。他方、病理解剖報告書およびパラフィン・ブロック
は永久保管を原則とする。
 
 
 

【資料】


病理解剖に関連した法律、通知等

昭和24年6月 死体解剖保存法(8回の改正)
昭和24年6月 死体解剖保存法の施行に関する件(通知)

昭和24年10月 死体解剖保存法施行規則(保健所長の許可による解剖、死体解剖資
       格申請における書式と手数料を明示;8回の改正)
昭和24年10月 死体解剖保存法施行規則に関する件(通知)(解剖資格の徹底を図っ
       た通知;平成7年4月に改正)
昭和28年12月 死体解剖保存法施行合(解剖資格の事務手続き等を定めた規定)
昭和63年11月 病理解剖指針(健康政策局長通知)
平成7年4月  死体解剖資格の認定等について(通知)

 病理解剖に関連した法律や通知を上記に示した。このうち、「死体解剖保存法」、
「死体解剖資格の認定等について」及び「病理解剖の指針について」は、特に重要で
あるので、以下に要約した。

1. 死体解剖保存法
 本法律は戦前の死体解剖に関する諸規定、「死因不明死体の死因調査に関する件」(昭
和22年厚生省令第1号)、「大学等への死体交付に関する法律」(昭和22年法律第110
号)を包括的に統一したものである。昭和61年までに8度の改正が行われているが、
その規定する骨子に変化はない。本法律が規定した内容は以下のように要約され、罰則
が加えられている。
(1) 死体解剖についての許可
   死体解剖は実施予定地の保健所の許可が必要であること、および許可が不必要な者
  と状況。遺族の承諾が必要なこととそれが不必要な場合。後者には遺体の死後30日
  を経過しても引取者がない場合、あるいは司法解剖や監察医の解剖の他、特殊な状況
  の病理解剖が含まれる(後述)。特別に設けた解剖室での実施の必要性とそれが回避
  される条件。
(2) 監察医制度(省略)
(3) 引取者のない死体の交付(省略)
(4) 死体保存に対する規則
   遺族の承諾と都道府県知事の許可が原則として必要である。ただし、医学の教育・
  研究に必要があり、遺族の承諾が得られれば、死体の保存が可能である。また、臓器
  の一部を標本とすることに関する遺族の承諾については言及されていない。本法律は
  系統解剖、病理解剖および司法解剖のすべてを包括し、基本的な事項を網羅している
  ため、「解剖の基本法」といったものである。他方、病理解剖実施の立場からは判読
  し難い部分もある。
 

要 約:
・ 解剖資格認定の有資格者あるいは大学医学部病理学の教授、助教授に病理解剖
 の資格が与えられている(第2条)。
・ 遺族の承諾なしで病理解剖が実施可能なこともある。遺族との連絡がとれず、
 早急に実施する必要があり、主治医を含む2名以上の医師または歯科医師が死因
 解明のために特に必要と認めた場合である(第7条)。
・ 病理解剖は特別に設けた解剖室で実施しなくてはならないが、保健所長の許可
 を得れば、その限りでない(第9条)。
・ 死体解剖の有資格者は死体の一部を標本として保存することが出来る。但し、
 その遺族から引渡しの要求あったときは、この限りではない(第18条)。
  すなわち、臓器・標本は遺族に帰属しているのである。

2. 病理解剖指針について
 「死体解剖保存法」や「死体解剖資格の認定等について」が系統解剖、病理解剖ある
いは法医解剖を包括して規定しているのに対し、本通知は病理解剖のみに焦点を当て、
その円滑な実施と一層の適正化を意図して通知された。取りまとめを行ったのは医道審
議会死体解剖資格審査部会である。
 本通知は死体解剖保存法を基盤にしており、病理解剖実施に際しての留意点や理念を
まとめたものと言っていい。しかしながら、法律や通知では明確に規定されていない点
が取り上げられている。
 病理解剖医の責務については、遺族や国民への配慮、遺体への礼意を失しない姿勢を
求めている。他方、病院長や医学部長等には設備や人員の適切な配置ほか、遺体の適切
な引き渡しがなされるよう病理解剖医を指導・監督する旨、規定している。

要 約:
・ 病理医は解剖の責任者であって、介助者や見学者を指揮・監督して円滑な解剖を
 行い、併せて、感染や環境汚染にも配慮する必要がある。
・ 解剖補助者は臨床検査技師、看護婦等医学的知識及び技能を有する者であり、
 その他の者は補助出来ない。
・ 解剖終了後には病理医の責任において死体の復元、清拭を行う。その処置に際
 しては解剖補助者を指導監督する。
・ 保存した標本が僅少の部分に留まる場合には、一般社会の通念に反せず、公衆
 衛生上遺憾のないよう処理できる。これは、顕微鏡標本作製における切り出しの
 際に残存した組織片が該当する可能性がある。
・ 保存した標本は遺族から引き渡しの要求があれば、直ちに引き渡さなければな
 らない。ただし、遺族の承諾があれば病院長等は標本を焼却等適切に処分するこ
 とが出来る。
 

 文 献;

1. 厚生省健康政策局監修:健康政策六法平成12年版中央法規出版株式会社、東京2000_
 
 
 
 

       病理解剖承諾書(モデル)の作成について

 各施設から送付を求めた病理解剖承諾書も参考にして次へ一ジのように病理解
剖承諾書(モデル)を作成した。参考にしていただきたい。
 承諾書の作成に関しては、以下の点に留意すべきである。

 1) 病理解剖承諾書は各施設の実状に沿ったものであり、加えて、必要最小
  限の事項が含まれなくてはならない。

 2) 承諾を得るのは臨床医(主治医)であって、病理医ではない。従って、
  病理解剖.承諾書は、病理医が所属する施設内で十分に議論される必要があ
  る。

 3) 承諾を与えるのは家族を失った遺族であり、この点を十分に留意し、説
  明は平易な言葉で、十分になされるべきである。
 
 
 
 
 

     病理解剖に関する遺族の承諾書(モデル)

 

 
 
 
 
 
 
 

○○ 病院長殿

1. 死亡者      氏名
          住所
2. 死亡年月日        年    月    日
3. 死亡の場所

 上記の死体が死体解剖保存法(昭和24年法律204号)の規定に基づいて解剖される
ことを承諾いたします。

 病理解剖は亡くなられた方の死因を確認し、病気の成り立ちを解明するために行いま
す。このため、病理解剖では主要臓器から肉眼標本を採取し、さらに、顕微鏡検査標本
を作製して診断します。
 説明を受け、承諾された項目にレ点をつけてください。

口 肉眼標本は一定期間保存され、死体解剖保存法に基づき、茶毘に付されます。
  顕微鏡標本やパラフィン・ブロックは半永久的に保存されます。
口 解剖診断は日本病理剖検輯報に登録されます。この際、亡くなられた方の氏名や住
  所等の個人情報は登録されません。
口 採取した臓器の一部を医学教育や学術研究に使用させていただくことがあります。 
  学会や紙上発表の際には匿名化して、個人情報は公開されません。
口 ゲノム・遺伝子解析研究に使用する時には、倫理委員会の審査を受けます。
口 上記の承諾事項に異議があれば、いつでも変更ができます。_

特記事項:(脳解剖の是非、遺族の希望等を記載)

  病理解剖に関して上記の説明を受け、承諾しました。
              平成   年   月   日
              氏名             印・捺印
              死亡者との関係
              住所
  説明者
     所属:          担当医名:             印
 
 
 
 


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